「街中で歌いたいと思えば歌えばいい。叫びたいなら叫べばいい。我慢をして自分を殺し続ければ、本当に死ぬことは可能だ。」
街中を歩いているとき、大声で歌いたくなったり、無性に叫びたくなる時がある。皆さんはないだろうか? 私はしょっちゅうある。最近のお気に入りは、「くそったれの世界」。
そんなことをやったら変なやつに思われるからやらない、と思うのが正常だ、と思うなら、もしかしたらそれは異常なのかもしれない。
私は縁あって、いわゆる知的障害のある人と接する機会があった。
一緒に話をしていても、目の焦点が合っているのかあっていないのかよくわからなかったり、
奇声を発し、一つのことにこだわって、その場にそぐわないので注意してもやめなかったりする。
世間的に言うところ、空気が読めない、コミュニケーションが取れない、と規定されるわけだが、注視してよく見て聞いてみると、それは別に異常でもなんでもないことに気づく。
焦点が合わないのは、何となく気恥ずかしいということだったり、奇声は嬉しさの表現だったり、こだわりは好きなモノ(ヒト)へのアピールだったり。
一見整合性がつかない行動は、ただの自己表現の一種に過ぎなかった。
他人から見て、詳細な意味まではわからないが、ダイレクトに伝わる表現だった。(言語はわからないが、大きな身振り手振りで伝わってくるアフリカの人とか、異国の音楽みたいに)
障害を持っていれば、必然的に自己表現が上手くて素晴らしいとか、そういうことではないけど、彼らの場合は、少なくとも偽ったり、変に他人を気にしたりはしていないようだ。
謎の規制によって、「こうしなさい」「こうするべき」と思い込まされる事柄が世に溢れている。そしてそれを忠実に実行していくと自分という形は歪んでいき、脳や心臓は動いていても、自分の核は、死んでいく。いつの間にか自分がそうなってないだろうか。誰かをそういう状況に追い込んでいないだろうか。
私自身、強固な思い込みによって、自分を殺し、死にかけたことがある。
漆黒の闇。音のない世界。
死にたくなかったら、歌いたいときに歌い、叫びたくなったら叫ぶことをお勧めする。少なくとも、その光景を見た私だけでも、それがフツーなんだぜ、死に抗うのが生物として必然、と思ってるからね。
ハッピーバースデイ。