先日、初めて「合唱」というスタイルで、舞台に出た。
合唱とはなんぞや?というのはまだまだ分からないが、
声を出すことは気持ちがいい!
歌や音楽は心地よい!
全身が震える。血液や神経が巡っている気もする。
しかも、自分だけではなく、他の出演者の声のエネルギーや聴いている観客のエネルギーも受け取り、歌や曲の力を借り、エネルギーの交流が行われる。
どこまでも広がる海であり、どこまでも照らし続ける太陽のように、空間が満たされていく。
歌や言葉を使わなくても、人は普段、エネルギーの交流をしていると思う。それは誰かとコミュニケーションを直接とっていなくても、
無言で空に向かって、優しい気持ちで誰かを想う時。
眉間にしわを寄せ、恨みつらみの想いで地面を睨みつけている時。
どちらの状態の時も、相手や他人が目の前にはいないが、プラスやマイナスのエネルギーの交流をしているのだと思う。
どんなエネルギーの交流をしたいと思うかは個人の自由だが、私は、0(ゼロ)でいたい。プラスもマイナスもない。受け取った分だけ相手に還していく。常にゼロだが、飢餓感はなく、循環しているような状態。
0である状態を、「孤独」や「孤立」として感じてしまい、何かで埋め合わせようとしてしまう時もある。
そんな時は、
0であることを誇りに想い、
念じるように、唱える歌詞がある。
「何にもないってこと、そりゃあ何でもありってこと」
私の大好きなhideさんの歌の歌詞である。
何にもないってことを恥じる必要なんかない。
何にもないってことは、何でもありなんだから。